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「執権」制度の背景

鎌倉時代、北条氏が、征夷大将軍に就任しないで、「執権」という、表現は適切ではないかもしれませんが「一歩引いた立場」をとった理由は何でしょうか???「評定衆」が置かれていたことと関係があるのでしょうか???  

投稿日時 - 2019-12-03 04:21:27

QNo.9685702

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

勝手な想像だけど、血統ではないから?
いろいろ都合のいいこともあるだろうし
源氏の権威は絶大だった?
家康も源氏の末裔のように言ってたようだし

投稿日時 - 2019-12-03 06:30:04

お礼

ありがとうございました。ご回答の内容、なんとなくわかるような気がします。

投稿日時 - 2019-12-05 06:12:31

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回答(2)

ANo.2

「評定衆」の存在といった幕府のシステムが関係しているというより、もっと根本的な、その時代の社会構造が背景と考えたほうが良いように思います。
この時代、武士が「一所懸命」に守った「領地」というのは、自分が完全な所有権をもつ土地ではなく、貴族や寺社などが所有する土地(荘園)を管理人(地頭)として管理しているに過ぎません。平安時代とちがって貴族や寺社の力は弱まり、管理人の裁量権が拡大して実質的な土地所有者のようになっていても、あくまで地位は管理人にとどまっていたわけです。おそらく、武士というのはそういうものだという身分意識、社会通念が根強かったのだと思います。
北条氏が実質的に幕府の権力を握っていたにもかかわらず、あくまで将軍家に仕える執事という地位にとどまっていたのも、同じようにそれが身分相応だからでしょう。

投稿日時 - 2019-12-03 17:00:10

お礼

ありがとうございました。

投稿日時 - 2019-12-05 06:09:58