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《〈わたしはわたしである〉わたしがわたしする》

 1. 《〈わたしはわたしである〉わたしがわたしする》――これが じんるいのさとりである。


 2. ところが この命題(ひとの判断)は 《わたし》のその時・その場の自己表現であるに過ぎないという特徴=限界をもっている。

 3. 言いかえると 《わたし》の一面のみを語っている。

 4. わたしは 《わたしがわたしであるわたし》に逆らってものごとを考え さらにそのことを実行に移すこともある。《わたしがわたししていない》わたしも起きる。


 5. それでも この命題は 活きる。《わたしに逆らうわたし》も内にふくむと見れば足りる。

 6. 語ったのは――つまりこの命題は―― つねにわたしの一部であると言える。

 7. これが じんるいのさとりである。


 ☆ コメントをどうぞ。




 8. 例証をひとつ挙げます。いぢめという事態は 相手を――それと同時に自分自身を――ほかから区別し その固定化と特別視とで差別をおこなうことに始まる。

 9. ですから・つまり そのとき相手のを含めたそれぞれの《わたし》の一面を捉え その時その場の自分の命題としている。

 10. つまり そういう《わたし》の一部分が起きている。と見ることが出来る。

 11. かくて すべての事象は 《わたし》論なるひとつの命題におさまる。

投稿日時 - 2017-08-13 09:15:05

QNo.9362458

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回答(8)

非思考の庭について――それは わたしの思想の主要な理論であるので―― しっかりとご自分の考えを聞かせてくださいという問いかけに対して きちんとこたえてからにしてください。

 また お金を持ったことがないというあなたの嘘について 取り消してからにしてください。


~~~~~~~~~~~~~~~~~

何が嘘なのか正直わからないのですが、
嘘を取り消します。


「100億円手に入れる」とか書いたりしたこともあったけれど、
現在の生活がつらくて、正直100億円でも割に合わない気がしました。
それよりとにかく健康とか、信頼できる人とか、なんかそういう
それでまあ、お金が欲しいのもそれはそれなのですけれど。

一億円とかの数字で、正直、低いとか少ないと思ってしまって
人生とか犠牲にして、様々な人たちに馬鹿にされて、ずっとこれからも続くだろうに
それだけかよみたいな。


非思考の庭については、
私は、「教授」と今のところは呼んでいますけれど、
特に名称はないです。だから悩んでますけれど、

ブラジュローヌさんは教えてgooの昔の質問とかも読んでいたでしょうから、
いちいち説明しなくてもいいかもしれませんが、
キグルミさんが次第に支離滅裂になっていくにつれて、パソコンの検索結果が奇妙なことになっていったのです。それで、ようやく、キグルミさんというキャラを誰かが作っていて、
そいつと私はずっと応答していて、それが今も続いているという状況で、
凄いストレスで、今はかなり諦めていて、今後どうなるかはわからない。

非思考の庭に該当するものが私にあるならば、それです。
ブラジュローヌさんのように、独自の用語を使っていくかどうかは検討中です。
アルケー教という前例もいるわけで。

難しいですね。

投稿日時 - 2017-08-14 23:36:23

補足

 受け容れられません。


 覚えのないウソを取り消すことはできません。

 もうひとつの話は 何のことか分かりません。

投稿日時 - 2017-08-14 23:49:50

ANo.7

 再度すみません。ふっと思い直したのは、吉本氏のいう、「固有時との対話」は、先ずは自己を見つめて、そこから出発するということで、まずは〈わたしはわたしである〉は当たっているかなと思いました。DVにも自分なりの対処法はできると。
 つまり〈わたしはわたしである〉が難しいテーマなんですね。

投稿日時 - 2017-08-14 17:58:52

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ つまり〈わたしはわたしである〉が難しいテーマなんですね。
 ☆ 難しいかどうかはいま別として そういうことです。《わたし》が 基軸であり その《わたし》であること・《わたし》になることが テーマです。

 しかも 《わたしがわたしである》ときにも わたしは その一面をのみ表わすかたちでしか ほとんど自己表現し得ない。・・・のではないかと。

 わたしはほとんどつねに《わたし》の一部分しか表わし得ないけれど それでも基軸として《わたしはわたしである》なら:
 ★ DVにも自分なりの対処法はできると。
 ☆ いうことは言えるのではないかと。



 吉本は わたしには厄介です。むつかしいです。
 ★ ふっと思い直したのは、吉本氏のいう、「固有時との対話」は、先ずは自己を見つめて、そこから出発するということで、まずは〈わたしはわたしである〉は当たっているかなと思いました。
 ☆ たしか――わたしは 吉本については 初期ないし中期までしか読んでいませんが―― 固有時へと《降りて行く》のではなかったでしたっけ。

 いくつか参考にした思想内容があるにはあるのですが 一つひとつが微妙に違和感もあるといった受け留め方なのですが:
 ★ 先ずは自己を見つめて、そこから出発するということ
 ☆ これは 穏当と言いましょうか 間違いの少ない考え方ですよね。

 だとしたら:
 ★ まずは〈わたしはわたしである〉は当たっているかなと思いました。
 ☆ といった見方をおこなってもよい・・・と言えましょうか。

 むつかしいところを こんな感じに端折ってしまったかも知れないのですが。・・・

投稿日時 - 2017-08-14 22:09:11

ANo.6

 〉すべての事象は〈わたし〉論である。〈

 誰かを好きになるというのは、〈わたし〉論ですが、お互いに好きであるということは、〈わたし〉と〈わたし〉の個人的関係を越えた、〈わたし〉と〈あなた〉の関係を考えないといけない気もします。
 自分の中に、自分とは違う〈あなた〉を受け入れる一部を作ればいいと思いますが。
 そういう自分も、なかなか〈あなた〉を受け入れ難いのは、自分とは違う〈あなた〉が得体が知れず怖いからだと思っています。
 得体が知れないものを受け入れられるかどうか?映画「ライフ」は、可愛いと思っていたエイリアンがどんどん恐ろしくなっていく話ですが、人間にもそういう面はあるという、示唆があります。DVとかは、〈わたし〉だけの問題ではないですね。

投稿日時 - 2017-08-14 06:17:28

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~
   〉すべての事象は〈わたし〉論である。〈

 誰かを好きになるというのは、〈わたし〉論ですが、お互いに好きであるということは、〈わたし〉と〈わたし〉の個人的関係を越えた、〈わたし〉と〈あなた〉の関係を考えないといけない気もします。
 ~~~~~~~~~~~~~
 ☆ もうひとつピンと来なかったのですが まづこの《わたし論》なる命題は 或るひとりのわたしの思索や振る舞いのすべては その人の《わたし》の一部であると言おうとしています。

 もうひとりのわたしを念頭に思っているとか あるいは実際に対面しているとか そういった相手のある情況や場面のばあい そうであっても それぞれの人は その《わたし》のやはり一面をその時その場で表わしている。ということを言おうとしています。




 ★ 自分の中に、自分とは違う〈あなた〉を受け入れる一部を作ればいいと思いますが。
 ☆ ん? ひょっとしたら 《自分とは違う〈あなた〉》というのは 自分にとっての《わたし》には 《もうひとりのわたし》がいるということですか?

 それとも 《わたし》には その中に相手の《わたし》をも――受け容れていたり反発していたりして 何らかのかたちで――ふくみ持っている・・・ということですか?

 でも いづれにしましても わたしの自己表現は 《わたし》理論のその《わたし》の一部分をつねに表わしているのだ。・・・これが 問い求めているところです。




 ★ そういう自分も、なかなか〈あなた〉を受け入れ難いのは、自分とは違う〈あなた〉が得体が知れず怖いからだと思っています。
 ☆ あぁ。要するに相手の《わたし》がたしかにいるということ。そして かんたんに言えば その相手とどう向き合うか? どう相手を受け容れるか? ・・・といったことでしょうか。

 この単純な《わたし理論》は 相手の存在やその受け容れ方がいかにあれ 人が自己表現をおこなうということは 《わたし》の一面がそこに表わされるのだ。・・・こういう仮説です。言わば そこにのみ焦点を当てています。
 



 ★ 得体が知れないものを受け入れられるかどうか?映画「ライフ」は、可愛いと思っていたエイリアンがどんどん恐ろしくなっていく話ですが、人間にもそういう面はあるという、示唆があります。DVとかは、〈わたし〉だけの問題ではないですね。
 ☆ 《受け容れ方》と言ったのは そこに《相手に遠慮願ったり距離を置いたりする接し方》をも含みます。そうして そのあとおこなう振る舞いや発言は けっきょく《わたし》の一部であるから その自己表現を 自分にしても相手にしても その人の《わたし》の全部だと見なしてはいけない。・・・こういう仮説です。


 DVについてなら 危険の及ぶ可能性をじゅうぶん考慮しつつ 基本的に《自分のであれ相手のであれ その自由な表現としての意志を踏みにじってはならない》という《わたし の思い》を伝え あとは臨機応変に対処して行きます。逃げることも 必要になるかと考えます。

投稿日時 - 2017-08-14 08:17:43

ANo.5

追記・・・

何年間も質問しても 質問が絶えない・・と 言う事は もう あなたは 此処のサイトの人の回答では満足しない・・って事・・

殆ど変わらない人が IDだけ変えて居座ってるのだから 重要点だけ質問すれば 解かるでしょ?

後は 自分自身で 調べて行くしか無いのでは?

投稿日時 - 2017-08-14 02:34:44

お礼

 No.4のお礼欄に同じです。

投稿日時 - 2017-08-14 07:54:24

ANo.4

亀の甲 いや違った 蟹の甲羅でしたか それに合わせて穴を掘りますからね。いくら 文章を見ても」←そうですか・・

でも・・・何年と あなた達の質問を見てきたが あなた達が 成長したとは思えないのだけど?

他人にばかり聞いても その他人も知らない事があるのに どうやって知る事が出来るの?

こういったQ&Aサイトの欠点も 見抜けない様では・・・?

投稿日時 - 2017-08-14 01:59:25

お礼

 14. 哲学は――つまり あらゆる学問は―― 独りひとりのいとなみであると同時に よかれあしかれ 人びとの主観の共同化としても成り立っています。

 15. それは 世代を超えて 受け継がれるものでもあります。共同化された学説が 間違いを修正されて行くことも じゅうぶんあります。

 16. 自由に互いに情報交換をおこなって何の不都合もありません。


 ☆ それだけのことですから あさっての方向から回答でもない要らぬ情報を投稿するのは 遠慮願います。

投稿日時 - 2017-08-14 07:53:29

阿部の恩師「素質は王より上」 内角に強いスイング伝授
山口裕起2017年8月13日21時39分

http://www.asahi.com/articles/ASK833WN1K83UTQP00Y.html?iref=comtop_8_02


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なぜ、「関連」が上に?


いぢめではなくて、はじめではないですか?

久しぶりの書き込みが富山県のヤクザの嫌みになってしまうとは。

みんなはじめちゃんなのだ
梵我はじめちゃん

投稿日時 - 2017-08-13 23:26:05

補足

 非思考の庭について――それは わたしの思想の主要な理論であるので―― しっかりとご自分の考えを聞かせてくださいという問いかけに対して きちんとこたえてからにしてください。

 また お金を持ったことがないというあなたの嘘について 取り消してからにしてください。

投稿日時 - 2017-08-14 07:45:37

ANo.2

追記・・

何年も あなたの質問見てるが 悟ったとは思えないのだけど・・?

悟ってるのなら 他人に聞く必要は無く 自分自身で 何をすれば良いのかは解かる筈・・

投稿日時 - 2017-08-13 16:50:51

お礼

 ご回答をありがとうございます。

 12. 自己表現と言っても 言葉でまとめる程度のものです。つまりは つねに《わたし》の一面を表わしています。

 13. 亀の甲 いや違った 蟹の甲羅でしたか それに合わせて穴を掘りますからね。いくら 文章を見ても。

投稿日時 - 2017-08-13 20:36:57

ANo.1

たわしはたわしである

たわしは亀の子が一番

これが じんるいのさとりである

投稿日時 - 2017-08-13 16:47:17